1932(昭和7)年1月18日の日本人僧侶襲撃事件を契機として、日本の海軍陸戦隊と蒋介石軍との間で武力衝突が始まった。 モスクワから派遣されたボロジンは支那共産党を指導して日本公使館を襲わせた。 陸戦隊はわずかに1000名程度であり、10数倍の支那軍に対した。 日本政府は不拡大方針を表明しつつ、数万の在留邦人を守るために白川大将を司令官とする2個師団を急遽、派遣した。 3月まで戦闘は続いたが、5月に停戦協定が成立した。 停戦協定締結直前、朝鮮人の共産テロリストにより爆弾が投げられ、上海派遣軍司令官・白川義則大将が死亡、重光葵(まもる)公使は片足を失う。 |
参考文献 | 歴史年表 |