昭和13年は、支那事変拡大につれて在支那アメリカ権益の損害が増え、門戸開放主義をめぐる日米対立が表面化するに至った年である。 フランクリン・ルーズベルトの日本に対する猜疑心は青年時代からの根強い感情であり、パネー号事件は日本の誠意ある対応で解決したものの、ルーズベルトの対日不信は深まる一方だった。 ルーズベルトが日本に対抗するためイギリスとの協調に着手したのはパネー号事件の後、昭和12年12月末のころであった。 翌13年1月、ルーズベルトはインガソル提督をイギリスに派遣した。目的は太平洋で対日開戦した場合の米英共同作戦の可能性についての調査だった。 米英共同作戦の可能性が早くもこの時期に検討されていたのだ。 日本が支那事変の解決と東亜の平和確立、そして対米親善関係維持に腐心していたころ、アメリカが対日共同作戦の研究を開始していたとは驚くべきことである。ルーズベルトの念頭にあったのは対日平和よりも戦争の可能性だったのだ。 参考文献:大東亜戦争への道(中村 粲著) |
![]() |
![]() |