カティンの森事件

第二次世界大戦勃発後にポーランドを侵略したソ連が起こした虐殺事件。ソ連国内のスモレンスクにほど近いグニェズドヴォ村近くの森で2万5000人のポーランド人がソ連によって裁判無しに銃殺された。
イギリスは赤十字に調査を依頼した。ソ連はそれに反発し、イギリスとソ連の関係が悪化した。また、イギリスの承認するポーランド亡命政権とソ連は関係を断絶した。ソ連は各国に、ポーランドの正式な政権は、ロンドンの亡命政権ではなく、自分達が樹立したルブリン共産党政権だと認めさせるために、ルブリン共産党政権に、ポーランドの実質的な統治をさせたいと考え、そのために邪魔となる恐れがあった国内軍を意図的に壊滅させた。

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