「日華基本条約」で汪兆銘の南京国民政府を日本が承認したその日、「日満華共同宣言」が発表された。 その骨子は、「日満華三国が本然の特質を尊重し合い、道義に基づく東亜新秩序建設の共同理想の下に、東亜及び世界の平和に貢献する」ことを前文で述べ、三国が相互に主権と領土を尊重すること、善隣友好・共同防共・経済提携の努力を尽くすことを声明した。 重慶政府は依然抗戦を続けており、多くの問題は残されていたものの、日満華三国を基軸とした東亜安定の基本的構図はこれで実現したものとわが国は理解したのであった。 歴史的に見れば、明治以来の大アジア主義思想が、曲がりなりにも具現化への端緒を得たということができる。これはアジア復興への曙光たるべきものだった。だがこの射し始めたアジアの曙光をかき消すかのごとく勃発したのが翌昭和16年(1941)の日米戦争であった。 真珠湾攻撃(日米開戦)(1941年) 日米戦争がなければ、東亜の天地はゆるぎない安定へ向けて、確実に進んだであろう。 |
参考文献 | 歴史年表 |