マレー半島上陸

昭和16(1941)年12月8日未明、山下奉文(ともゆき)中将の率いる第25軍は、シンゴラ、コタバルに敵前上陸して、快進撃をもってマレー半島を南下した。
日本軍はイギリス軍を撃破し続け、同半島を縦断、わずか70日で東洋支配の大要塞シンガポールを陥落させ、長い間イギリスが過酷な植民地支配をしていた地域を開放した。
途中、マレー沖開戦では、日本軍の攻撃によりイギリスが誇るプリンス・オブ・ウェールズとレパルスが撃沈された。

進撃があまりに急であったため、いたるところでインド兵が捕虜としてとらえられた。当時F機関と称する、藤原大佐を長とする民間人を交えた一握りの工作機関が、このインド兵捕虜を編成して「インド独立国民軍」を創設した。難攻不落を誇ったシンガポール攻略戦には、インド国民軍は非常なる勲功をたてた。シンガポールのインド兵を加えて、国民軍は総勢4万5千に膨張した。ラス・ビバリ・ボースを主席とするインド独立連盟がバンコクに旗揚げするや、国民軍はこの中に移管されたが、やがてインドの革命児チャンドラ・ボースが出現するに及び、国民軍はあげて彼の指揮下に入るとともに、ビハリ・ボースの独立連盟も彼の手にゆだねられ、、1943年7月3日、自由インド仮政府が誕生した。

  自由インド仮政府


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参考文献 歴史年表