ルーズベルトは交渉引き延ばしを目的とする暫定協定案をハルに作成させる一方、対日戦争を策謀していた。11月25日の戦争関係閣僚会議でルーズベルトが議題としたのは和平の見通しではなく、戦争はいかにして開始されるかの問題であった。 最後通牒ハル・ノートを日本に手交される前日、ホワイトハウスで開かれた会議の、国務長官のコーデル・ハル、陸軍長官のヘンリー・スチムソン、海軍長官のノックスらが会合した。 スチムソンは日記にこの会議の様子を記録していた。そこには以下のことが書かれている。 「出席者はハル国務長官、ノックス海軍長官、マーシャル陸軍参謀総長、スターク海軍作戦部長、それに自分である。フランクリン・ルーズベルト大統領は対独戦略ではなく、もっぱら対日関係を持ち出した。彼はたぶん次の日曜日(12月1日)には攻撃される可能性があると述べた。・・・問題は我々自身に過大な危険をもたらすことなく、いかに日本を操って最初の発砲をなさしめるかということであった」 フランクリン・ルーズベルトの長女の夫であるカーチス・B・ドールは告白書「操られたルーズベルト」の中で、真珠湾攻撃の前日、家族との朝食の席でルーズベルトが以下のことを話したことを書いている。 「私は決して宣戦はしない、私は戦争を造るのだ。明日戦争が起こる」 つまり、アメリカ政府は、日本が絶対受け入れることができないことを知りながら、あえてハル・ノートを手渡してきたのだ。 この半年前に、スチムソンはハルに向かって「私たちの戦争準備はすべて終わった。あとはハル国務長官、あなたの出番ですね」と漏らしていた。それは、戦争に持ち込めるか否かは、日米交渉で、ハルがいかに日本をいら立たせて、日本に開戦の決断をさせるかにかかっているということを示唆した発言である。 |
参考文献 | 歴史年表 |