フィリピンのアメリカ軍総司令官になったダグラス・マッカーサーは、自慢の航空部隊で十分に日本を抑えられると思ったところがコテンパンにやられ、数万の兵隊を置き去りにして自分だけがオーストラリアに逃げた。その置き去りにされた兵隊たちは、バターン半島で食べるものもなく、マラリアに侵されてフラフラになってしまった。放っておけばそのまま死んだわけだが、降参したために日本軍は山の中から基地のある場所まで自分たちの何倍もの数の兵隊を連れてこなければならなかった。日本軍にはトラックがなかったために、仕方なく歩いてもらった。その途中に、多くの死者が出たために「バターン死の行進」と呼ばれ、日本軍の残虐行為と非難されている。しかし、一番残虐だったのは置き去りにして逃げたマッカーサーである。マッカーサーは日本に対する恨みを持ったのだが、それはマッカーサーの逆恨みだった。 |
参考文献 | 歴史年表 |