ミッドウェー海戦

大東亜戦争の分岐点。
日本本土を爆撃された日本の海軍は、ハワイ諸島の西、アメリカ海軍の中継基地になっているミッドウェーを攻撃することにした。
当時太平洋にいた日本とアメリカの海軍の戦力は以下の通りであった。
日本 アメリカ
空母 8 3
戦艦 11 0
重巡洋艦 17 7
軽巡洋艦 7 1
駆逐艦 70余 11

戦力は圧倒的に日本のほうが上回っていた。この戦力差をミッドウェーに差し向けて普通に戦えば楽勝だった。ところが、結果は日本の連合艦隊は赤城、加賀、飛龍、蒼龍の航空母艦4隻を撃沈されて完敗を喫した。それどころか優秀な飛行機乗りを三百数十名も失ってしまった
空母は攻めるのは強いが攻撃されると弱い。だから空母には戦艦以下を張りつけて護衛に当たるのが常識なのだが、日本がミッドウェーに向かわせたのは空母4隻とおざなりの護衛艦隊だけだった。
また、空母4隻だけでなく、そのはるか後方500キロを戦艦大和などにミッドウェー方面に向かわせていた。なぜ、4隻の空母に張りつけて護衛させずに、500キロ後方を航行させていたのか。
戦艦大和は世界最大だけでなく、設備も装備も世界最新鋭だった。アメリカが空母4隻からなる日本の機動部隊を発見し、迎撃せよという命令を発する無線をいち早く傍受していた。ところがその内容を4隻の空母には何も伝えていない。
500キロも離れていたため当然ミッドウェー海戦には間に合わず、空母4隻が全滅したという知らせを聞いて空しく引き返すという間抜けなことをやっている。もともと戦艦大和はミッドウェー海戦に参加するつもりなどまったくなかった。ではなぜ500キロもの後方でミッドウェーに向かうような航行をしたかといえば、一応戦闘に参加したという格好をつけるためだった。瀬戸内海にいては、階級が上がるキャリアにもならないし、戦闘参加手当ても出ない。そこで昇進の機会と戦闘参加手当てを得るために、そんな工作をしていたというわけだ。

ミッドウェーはアメリカにとって勝てるはずのない戦いだったが、この海戦がアメリカが勝利するための分岐点だった。ミッドウェーでアメリカが負けていたら、ハワイは持ちこたえられないから、アメリカは全軍をカリフォルニアに集結して防衛に当たるしかなかった。そうするとヨーロッパには手が回らないからイギリスはドイツに降伏する。となるとアメリカはヨーロッパでも太平洋でも勝てず、講和を結ぶしかなかった
日本海軍のマヌケな行為により大東亜戦争の勝利が消えてしまった。

こんな大失態を演じたにもかかわらず、機動部隊司令長官も連合艦隊参謀長も失脚すらしなかった。日本の官僚の無責任は今に至るまでまったく変わっていない

ミードウェー開戦と同時期に行なわれたアリューシャン列島作戦で、アメリカは零戦をほぼ無傷のまま手に入れた。撃墜された飛行士は戦死したが、飛行機はほとんど完璧な姿のまま着陸していたのだ。
それまで零戦は無敵だった。制空権が勝敗を分けるといわれたこの戦争で、零戦はいつでも日本軍を有利に導いていた。その零戦をアメリカはくまなく研究し、新鋭機器の開発と大量生産に没頭することになる。零戦の優越性が失われるのも時間の問題となってしまった。
ミッドウェー海戦で熟練した飛行士が多数戦死し、さらに零戦がアメリカに研究されたことで相対的に日本の戦闘機の性能が劣ってしまった。この状況が、悲劇の神風特攻隊を生むことになる。

ブラウザの「戻る」ボタンで戻ってください
参考文献 歴史年表