パール博士の大阪弁護士会館での訴え

東京裁判判決から4年後の昭和27年(1952)10月26日、パール博士は再び来日した。
世界中で東京裁判を問題視しているのに、日本においては、政治家も法律家も学者インテリもジャーナリストも、この問題を真正面から取り上げようとしないことに対して、大阪の弁護士会館で法律家を前にして次のように訴えた。

「わたくしがみなさんにお願いしたいのは、この国の国際軍事裁判で提示された問題をもっと研究し、真に国際法を守る法律家になっていただきたいことである。しかもその直接の被害者は日本人であり、日本国家である。それに、いまなお牢獄に、シベリアに、不公正な裁判の犠牲者として多くの同胞がつながれ、その家族は悲嘆にくれている。皆さんの兄弟や子孫は、戦犯者としての烙印を押され、いわれなき罪悪にひしがれている。
こうした中にあって、法律の番人であり、法律を守ることを職業とし使命としている皆さんが、国際法の論争に無関心であるということは、わたくしには信ぜられないことである。どうかプライドをもって、堂々とこの論争の中に加わっていただきたい。法の審理を守る法律家になっていただきたい」
「日本とドイツに起きたこの二つの国際軍事裁判を、他の国の法律学者が、このように重大問題として真剣に取り上げているのに、肝心の日本において、これがいっこうに問題視されないおいうことはどうしたことか。これは敗戦の副産物ではないかと思う。すなわち一つの戦争の破壊があまりにも悲惨で、打撃が大きかったために、生活そのものに追われて思考の余地を失ったこと、二つにはアメリカの巧妙なる占領政策と、戦時宣伝、心理作戦に災いされて、過去の一切が誤りであったという罪悪感に陥り、バックボーンを抜かれて無気力になったしまったことである」
「日本は独立して、ふたたび国際社会の一員になった。今後アジアにおける信頼ある国家として非常な期待がかけられている。にもかかわらず、こういう世界の平和と運命に関連する大事な問題に対して、日本の法律化が無関心であるということは、なんとしても残念なことである。わたくしは日本の今後の国民生活、ことに精神生活の面において、東京裁判の内容とその影響というものが、非常に大きな作用をなすものと考えている」
「せかいはいま動揺している。非常なる混乱期にある。一つの法律がその翌日に放棄されて顧みられないといった世相である。どうか、この混乱、動揺した世界情勢の中にあって、国際法の問題をもっと深く研究し、それに対する明判決を下されるようお願いしたい。少なくとも日本の青年をして、その方途をあやまらしめることなく、この世界の混乱動揺期に、一つの明確なる指針を与えてくださるよう心からお願いしたい」

せつせつとして、博士が日本の法律家に訴えたこの言葉は、そのまま、現在の時点においても十分傾聴に値しよう。

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参考文献 歴史年表