平成2年(1990)3月27日に、大蔵省が「不動産業者や建設業者、ノンバンクなどは今後、当局が監視する」という趣旨の通達を出した。大蔵省銀行局長である土田正顕(まさあき)が出したもので、大蔵大臣は橋本竜太郎だった。通達なので衆議院も通っていなければ、閣議にもはかられていない。公的な政治決定機関のいかなるところにも一切はかられずに、ただ銀行局長の権限で、このような国の経済を揺るがす通達を出したのだ。 この総量規制の通達により、銀行は一斉に融資をやめ、不動産関係企業は資金が断たれて土地は暴落した。 日本では不動産を担保に企業に融資をしている。不動産の暴落で、莫大な不良債権が生まれ、景気はすっかり冷え込み、今も日本経済を苦しめている。 日本全土の土地路線価格2200兆円は、一気に半分以下になり、1650兆円が消えた。 また、この通達の対象外であった住専が不動産業者に金を貸したが、その後も地価は下がる一方であり、融資は不良債権となった。 この総量規制と相前後して、土地や株式などの取引に対しても、他の先進国には類を見ないような新しい税金が設けられた。それらがまとまった一つの大きな力となることによって、バブルが崩壊し、土地や株式が下落の一途を辿ることになった。土地や株式の値段が著しく下落することによって日本経済は勢いを失い、日本はあっという間にガタガタになってしまったが、その後もその原因となった税制を政府や変えようとしなかった。 平成不況の張本人でありながら土田正顕(まさあき)は死ぬまで東京証券取引所の社長をやっていたというからあきれる。 総量規制の通達を出したとき、大蔵省や国土庁などの発想の根源には「今の地価は高すぎる」という思いがあった。当時日銀総裁の三重野康なども「日本の土地は高すぎる。半分にしてみせる」と息巻いていた。民間企業や国民が保有する社有地や私有地の地価を官僚がその力で半分にしてしまうということは、民間企業および国民の財産を強制的に減らすことである。アメリカで大統領や連銀議長などがそんなふざけた発言をしたら間違いなく殺されてる。 |
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