六・四天安門虐殺で支那に対する国際世論は硬化し、経済制裁を課する国が続出した。支那共産党は困り、国際世論をなだめ、制裁を解除してもらうために思いついたのが日本を利用することだった。悪人として常に批判している日本の天皇を招き、友好的な姿勢を演出して見せて国際世論を軟化させようと目論んだ。当時の支那の外務大臣が「外交十記」と題する回顧録でもそのことを書いている。 ここで当時の首相の宮沢喜一と官房長官の加藤紘一という国賊コンビは、支那の要求にホイホイと応じて、平成4年(1992)に天皇を支那に行かせた。 これ以来、支那の日本に対する態度が突如傲然としてきた。 |
参考文献 | 歴史年表 |