ハル・ノートを日本に突きつけたフランクリン・ルーズベルトはオランダ出身で、「有色人種への差別が格別に強かった」と、ニューヨーク州ハイドパークの大統領私邸で会談した英国のロナルド・キャンベル公使は本国に書き送っている。キャンベルが、この会談の席上、ルーズベルトから打ち明けられたのが「劣等アジア人種」の品種改良計画だった。 「インド系、あるいはユーラシア系とアジア人種を、さらにはヨーロッパ人とアジア人種を交配させ、それによって立派な文明をこの地に生み出していく。ただ日本人は除外し、もとの島々に隔離して衰えさせる」 ハル・ノートは、まさにルーズベルトがキャンベルに語った内容そのものである。日本人を支那大陸から追い払い、「元の島々に封じ込め、衰退させよう」との狙いだった。 オランダの有色人種蔑視(当時のオランダ人の考えがわかる) |
参考文献 | 歴史年表 |