各国の軍の虐待度

まだまだ作成中

アメリカ

リンドバーグの戦時日記
米軍の残虐行為:リンドバーグの衝撃証言(反左翼徒然草)
アメリカの蛮行


ソ連(ロシア)
ロシア・ソ連の蛮行
ソ連の人道に反する罪
戦争におけるソビエト軍(ロシア)の残虐性(酒たまねぎや ura ホームページ)
ソ連の兵士は女性を強姦するのが当たり前の連中だった。ベルリンの全女性の50%が強姦されたというのだから恐ろしい。

イギリス

アーロン収容所にみるイギリス人(酒たまねぎや ura ホームページ)
平成10年に総理大臣だった橋本龍太郎は、サンというイギリスの雑誌になんと「日本軍がイギリス軍捕虜を強制労働させた」と謝罪文を書いている。こいつは日本人捕虜がイギリス軍に何をされたか知らなかったのだろうか。
ナチス・ドイツが敗れたとき、イギリスはドイツが労働力として徴用していた大量のウクライナ人を、ナチス協力者という理由でソ連に送った。彼らは協力者でも何でもなく、ナチスにこき使われた人たちだった。送り返されれば死刑になることはわかっていたから、ウクライナ人たちは返さないでほしいと嘆願したが、当時のイギリス軍はそれを聞かなかった。そしてそのウクライナ人はみんな死刑になった。この一事がイギリスで明らかになると「我々は何のために戦ったのか」「ナチスと戦ったことを誇りに思ったのに、自分たちはナチス以上のの人間を殺したのではないか」と、大きなショックを受けたというが、そんなイギリスが大東亜戦争中の日本軍の捕虜虐待を非難しているのだから笑い話である。

オランダ

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オーストラリア

オーストラリアは日本に一方的に宣戦を布告しながら、戦争中の捕虜虐待を最も声高に言った国である。
平成7年、オーストラリア首相のキーティングは戦没者追悼式典で、日本側の捕虜取扱いについては「怒りは消えない」と言い、次代を担う子供たちにも「これを忘れるな」と繰り返した。
しかし、昭和19(1944)年8月5日、オーストラリアのカウラ市内にあった捕虜収容所から日本人が脱走を企てたとき、オーストラリア兵は無差別に砲火を浴びせ、実に234人を射殺し、108人に重軽傷を負わせたのである。
これに対して、長崎市にも戦時中、捕虜収容所があり、オーストラリア兵が収容されていた。アメリカが投下した原爆で収容所が破壊されると、捕虜たちは脱出し、市民の中に交った。だが、家族や友人を原爆で失い、連合国に櫛の極限状況下でさえも、日本人は何ら彼らに危害を加えなかった。
オーストラリア人の中には自分たちのやったことにあまりにも無知で、しかも、日本人のやったことは、戦時中の反日プロパガンダがそっくりそのまま頭の中に入っている者がいる。

オーストラリア兵のパイロットたちは飛行機で日本人捕虜を輸送中、突き落としたので、途中で「ジャップたちはハラキリをした」ということがリンドバーグの戦時日記にも書かれている。

支那





日本軍において捕虜の扱いの悪かった所は、日本軍自体にも食糧がなくなっていた所や、ゲリラが多かった所が主であったといってよい。実際に悪かった所があったとしても、それは連合軍側の戦時プロパガンダで異常に拡大・誇張された話が、戦後になっても続いているというのが真相である。
東京裁判において連合国は、自分たちの行為を棚に上げて日本軍を裁いた。これはどう見てもフェアではないし、実際には戦勝国の方がはるかに悪質なことをやっていたのだ。

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参考文献 歴史年表