東京裁判でローガン弁護人は徹底してアメリカの戦争責任を追及した。 昭和23年(1948)3月10日の最終弁論において、連合国側、特にアメリカがいかに経済的・軍事的に日本を追い込んだのかを論証した彼は、大東亜戦争は連合国の不当な挑発によって引き起こされたのであるとし、以下のように法廷で訴えた。 「日本の攻撃が自衛手段でないと記録することは実に歴史に一汚点を残すものである」 ローガンはまた、東京を去るときに日本の全被告に対して次のように挨拶した。 「わたしは最初日本に着いたときには、これはとんでもない事件を引き受けたものだと、後悔しないでもなかった。しかるにその後、種々調査、研究をしているうちに私どもがアメリカで考えていたこととは全然逆であって、日本には20年間一貫した世界侵略の共同謀議なんて断じてなかったことに確信を持つにいたった。したがって起訴事実は当然、全部無罪である」 |
参考文献 | 歴史年表 |