戦陣訓

昭和16年(1941)1月に陸軍大臣・東條英機が示達した訓令(陸訓一号)で、軍人としてとるべき行動規範を示した文書。以下のフレーズが有名である。

本訓 其の二  第八 名を惜しむ

 恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。


とくに「生きて虜囚の辱を受けず(捕虜になるな)」という語句ゆえに評判がよくない。なぜなら、「捕虜になるな」という戦陣訓のせいで、死ななくてもいい人が自決した、と言いふらす輩がいるためである。
これには軍部内でも、戦陣訓を無視するなどの抵抗もあった。特に海軍は関係がなかった。

「捕虜になるな」と書いた理由は支那で捕虜になった日本兵は徹底して残虐な殺され方をしたからである。それは局部を抜かれたり、目玉をくりぬかれたり、全身切り刻まれるなど、惨憺たる殺され方する場合が多かった。だから「捕虜になる辱めを受けるな」と教えておいた方がいいとなったのだ。

支那の残虐非道を知らない人はこの語句の意味が分からず、悪評が残ったが、以下のような含蓄に富む言葉もある。

本訓 其の三  第一 戦陣の戒 六、七、八、九 (口語概要のみ)

六、敵の資産、財産を勝手に取り上げたり、好きなように扱ってはならない。

七、あわれみ深く思いやりある心で罪のない一般住民、市民に接しなさい

八、戦場であっても酒と女にはけ口を求めたりしてはならない。本心を見失わずに、武人の清々しさを忘れないようにしよう

十、怒るな、怒りこそ敵だ、一瞬の激情は後悔することになる。いつも遥かに父母妻子のまごころを思おう、かりそめにも罪や非難を浴びかねない行為はするな


こんな戦場心得を日本は作っていた。支那兵の非道やりたい放題とはまったく異なる日本兵士が多かったのも当然だった。

  日清戦争(1994年)


ブラウザの「戻る」ボタンで戻ってください
参考文献 歴史年表