北京条約(1860年)

アロー戦争イギリスとフランスの連合軍が清国の広州を占領し、さらに北上して天津を制圧したため、清朝が天津でイギリス、フランス、ロシア、アメリカの4ヶ国と天津条約を結んだ。戦争とまったく関係のないロシアとアメリカまでもが条約を結んで利益を得ている。
この条約で決まった主なものは以下のとおり。
  • 外交官の北京駐在
  • 外国人の支那での旅行と貿易の自由
  • キリスト教布教の自由と宣教師の保護
  • 10港の開港
しかし、イギリス・フランス軍が引き上げると清国では条約に対する非難が高まり、条約の批准を拒んだ。このためイギリス・フランス軍は再び天津に上陸、北京を占領した。
そして、ロシアの仲介で清国とイギリス・フランスとそれぞれ条約が結ばれた。また、仲介したロシアまでもが清国と条約を結んだ。これが北京条約である。
この条約で決まった主なものは以下のとおり。
  • イギリス・フランスへの賠償金の支払い
  • (清朝が条約を守らなかった)天津条約の実施
  • 北京への外交官の駐留
  • 天津の開港
  • イギリスへの九竜半島の一部(香港島に接する部分)を割譲
  • ロシアへの沿海州の割譲
ロシアが沿海州を得たことにより日本への脅威は現実のものとなった。

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参考文献 歴史年表