ロシア、沿海州奪取

1858年に黒竜江(アムール川)以北の地を奪取したロシアは、その2年後の1860年にはイギリス・フランスとのトラブルにつけ込んで清国北京条約を結び、ウスリー川以東の沿海州を割譲させた。

  北京条約

そしてロシアは、ウラジオストック(ロシア語で「東方支配」という意味)に念願の不凍港の軍港を建設し始めた。
ロシアの次の侵略目標は満州と朝鮮である。このようにして日本への脅威はますます増した。実際に翌年、対馬事件が起きている。

  対馬事件

  北京条約締結後の極東


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参考文献 歴史年表