アメリカの占領政策

昭和20年(1945)8月14日に日本はポツダム宣言受諾を連合国に通達し、翌8月15日玉音放送によって大東亜戦争の敗戦が日本国民に伝えられた。
一応、この日が一般には「終戦の日」とされているが、正確な言葉ではない。この日以降、アメリカの占領政策が始まるのである。
この占領政策は、昭和27年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効するまで日本人の精神性の解体が7年間も続くことになる。

まず行ったのは日本の武装解除であるが、一時的に武装解除しても日本人はやがてまた武装するかもしれない。そこで、非軍事化を長期的に保障するために教育の「民主化」等といった精神的武装解除を考えた。その大きな柱がウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム検閲(言論統制)、そして東京裁判だった。

  ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム
  検閲(言論統制)
  東京裁判

アメリカによる初期の対日占領政策は、一言でいえば、日本が再びアメリカの脅威にならないよう、徹底的に日本という国の弱体化を図ることであった。アメリカによる対日占領政策の最重要課題は、何よりも日本人を精神的に弱体化させること、すなわち、日本人から歴史とアイデンティティーを奪うことにあった。

GHQは五年間の占領期間中に日本国民の脳裏に平和憲法を讃え、「人名は地球よりも重く奴隷にされても平和を愛する」平和史観を埋め込んだ。

大東亜戦争はドイツとの戦争と異なり、アメリカ人を震え上がらせたものだった。特に、神風特攻隊沖縄戦、硫黄島決戦はアメリカ人に甚大なショックを与えた。それらの戦場で日本兵や日本人が示した脅威の自己犠牲精神、アメリカはこれを一番恐れた。この精神を崩さないかぎり日本は再びアメリカの脅威となる、と考え、そのために目をつけたのが学校教育、なかでも歴史教育だった。あきれたことに現在でもそれが続き、一般の日本人は反日教育を受け、自虐史観を叩き込まされている。

アメリカの占領政策の具体的なものとして他に以下のものがあった。

  靖国神社焼却計画
  神道指令
  公職追放令
  焚書
  日本国憲法制定
  財閥解体
  農地改革

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参考文献 歴史年表