白人、フィリピン到達(1521年)

香辛料群島の先陣争いにおいてポルトガルに遅れを取ったスペインは、マゼラン(ポルトガル人)を援助、西回りの航路の発見を命じ、巻き返しを図ろうとした
1519年にスペインを出航したマゼラン船隊は、大西洋を渡って南アメリカの東岸を南下、マゼラン海峡を通って太平洋に出た。そして広大な太平洋を横断するわけだが、その途中、サイパン、テニアン、グァムといった島々で海賊行為を続けながら、1521年、フィリピンのセブ島に到達した。マゼランは寄港した土地や島に十字架とスペイン王室の標識を立て、勝手にスペイン領だと宣言して回った。しかし、マゼランはフィリピン先住民との戦いで毒矢に当たって殺された。

隊長を失ったマゼラン船隊は、フィリピンを離れ、海賊行為を行ないながらモルッカ諸島に到着し、念願の香辛料を手に入れた。そして、出発から3年後の1522年、マゼラン船隊で最後まで残った1隻の船だけがスペインに帰着した。これで人類史上初と考えられる世界一周が成し遂げられたわけだ。これによって地球が丸いことが実証された。たった1隻の香辛料の売り上げが全船隊の費用を上回ったというのだから、香辛料の商売は超おいしいものだった。

スペインはマゼランが「発見」したという理由から、ルソン島とその周辺の多くの島々を1571年、スペイン国王フェリペ2世の名にちなんで「フィリピン」と命名した。そして、スペインはその後、米西戦争に至るまでの330年間植民地支配を続けることになる。スペインはフィリピンをアジア侵略と経営の根拠地としたのだ。

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参考文献 歴史年表