来日中のロシア皇太子・ニコライが滋賀県大津市で日本人の巡査に斬りつけられた。このニュースを知った日本人は震え上がった。皇位継承者を暗殺しようとしたら戦争が起こってもおかしくない。明治天皇は深夜にもかかわらず特別列車で関西に行き、ニコライをお見舞いに行った。そして、一般の日本人女性がお詫びのために京都府庁の前で切腹した。当時の日本人の危機意識はこれほど高かった。 結局ロシアは何も言ってこなかったが、ニコライは終生、日本を恨み、日露戦争の遠因のひとつとなった。 ニコライは皇帝(ツアーリ)になってから公文書には日本人と書かずに「猿」と書いた。 ニコライは殺されなかったが、国を揺るがす大事件だった。 韓国のテロリストが伊藤博文を暗殺したとき、朝鮮人がどれほど震え上がったのかは容易に想像できよう。 結局ニコライはロシア革命で処刑されることになる。 |