「乙未の変」ののち、朝鮮では親日派の内閣ができ、改革を進めようとしたが、ロシア公使のウェーバーが親露派と共謀して韓国国王を王室からロシア公使館に移してしまった。こうなると形勢が逆転し、政権を握っていた大臣たちは惨殺され、親日派の多くが日本への亡命を余儀なくされる。このとき大臣たちは手足を切り裂かれ、肉を食われた。 朝鮮国王はロシア公館から勅令を出し、親日派を捕まえさせ、改革案は全部撤廃した。日本人30数名が殺されて、日本の財産が10余万円失われてもいる。その後1年にわたって国王はロシア公使館に拘留された。かつては朝鮮は清国の属国だったが、今度はロシアの属国となってしまった。 ロシアは軍人を送って軍を訓練する。武器はウラジオストックからもってくる。ロシア語学校をつくる。そして、朝鮮北部の鉱山開発権を取った。 国王がロシア公使館から王宮に戻っても、ロシアの影響下にあることは変わらなかった。山形有朋とロマノフ外相が話し合って協定をまとめたが、ロシア側はそれを守る気などさらさらなかった。 朝鮮国王はロシア公使館から王宮に戻ると、もはや清の属国ではないとして国号を大韓と改め、皇帝を称した。それまでは新羅王、百済王、高麗王と、常に王だったが、と朝鮮半島ではじめて皇帝が誕生したのである(1897年)。 やがてロシアは北清事変をきっかけに全満州を占領してしまう。 北清事変(義和団の乱)(1900年) |
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