門戸開放宣言の翌1900年、北清事変(義和団事変)が発生し、各国連合軍が出兵して清国分割の危機が激化すると、アメリカ国務長官のジョン・ヘイは第二次の門戸開放通牒を列国に送った。 この第二次通牒は重大な新提案を含んでいた。 それは第一に「通商上の機会均等主義」を勢力範囲に留まらず清国全土について主張したこと、第二に機会均等のみならず、清国の「領土的・行政的保全」を提唱したことである。 このように門戸開放の適用範囲と内容が著しく拡張されたのだ。 正に門戸開放主義をめぐる日米間の解釈の相違が、極東における日米の紛議と対立の中心的争点を形成していく。 |
参考文献 | 歴史年表 |