日英同盟破棄(1922年)

21年間の日本の外交を支えていた日英同盟であり、日英双方が意義を感じていた同盟をワシントン会議で終了させられた。

  ワシントン会議(1921〜1922年)

アメリカにとって当時世界最強のイギリスが自分が叩くべき日本と同盟を結んでいることは不都合だった。日英同盟の代わりとして日本、アメリカ、イギリス、フランスによる「太平洋に関する四ヶ国条約」が締結された。これは太平洋の現状維持を取り決めたもので大した意味はなく、本当の目的は日英同盟を解消させることだった。

日英同盟はロシアとドイツに対するものだが、「第一次世界大戦でロシアもドイツも弱くなったのに日英同盟が続いているのは両国が我国を挟み撃ちしているのだ」などとパラノイアのようなことをアメリカが言い出した。大英帝国内ではオーストラリアやニュージーランドは日英同盟維持に賛成したが、アメリカの隣国のカナダが猛烈に反対した。

第一次世界大戦でヨーロッパの国はアメリカに経済的・軍事的に協力してもらったのでイギリスもアメリカの要求を断れない。イギリスは同盟廃止を言い出したくないので日英にフランスとアメリカを加えた四ヶ国同盟に移行することになった。「連帯責任は無責任」といわれるようにこの四ヶ国同盟はまったく役に立たなかった
日本は純情にも、四ヶ国条約は平和を求める各国の希望の結晶であるなどと信じ込んでしまい、全権・幣原喜重郎は軽率にもこの提案に乗ってしまい受け入れてしまう。こうして日英同盟は消滅し、アメリカは日英同盟という最後の砦を崩すことに成功、強力な同盟国を失った日本を狙い撃ちし始める

  アメリカの排日

イギリス人から見れば、日英同盟の廃止が世界に広大な植民地を有する大英帝国にとって致命的だった。当時は軍艦一隻で十分植民地を抑えられた。ところが第二次世界大戦での日本との戦争で、イギリスはプリンス・オブ・ウェールズとレパルスを撃沈された。それからインド洋艦隊も、ドイツのビスマルク号を沈めた重巡洋艦ドーセットやコンウォール、さらには航空母艦ハーミスを撃沈された。それをインド人が知ったら、抑えが利かなくなるのは当たり前だった。イギリスは日本と戦争をしたから、インド、パキスタン、ビルマ、シンガポール、マレーなどを失う羽目になった

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参考文献 歴史年表