ヨーロッパに工業などで遅れをとっていたアメリカは、輸入品に高率関税をかけようとしていた。 実業家であり多くの企業を有していたホーリー上院議員とスムート下院議員が、みずからの関連企業の利益を大幅に引き上げるために関税を高くすることを思いついた。競争相手となる外国製品をアメリカ市場から締め出してしまおうとして、アメリカ議会に高率関税法案を提出したのである。これは1,000品目以上の物品に数百パーセント(最高で800%)の関税をかけるという無茶苦茶な法案であった。こんな法律が通れば世界の貿易は麻痺してしまう。世界経済を無視したこの暴力的な関税法案には、さすがに反対する議員が続出し、激論が生じた。 そんなさなか、「暗黒の木曜日」が訪れる。 世界大恐慌(1929年) つまり、この法案が通るかどうかの瀬戸際が株式相場を刺激したのだ。 不況になりそうなときほど関税を下げて貿易を促進するというのは、今では当たり前の方法だが、当時は経済学がそこまで発達していなかった。 大不況が起こると、まさにその不景気を打開するために、1930(昭和5)年6月、アメリカ議会はこの法律(ホーリー・スムート法)を成立させてしまったのである。 世界中に大不況が起こったときに、アメリカのような大国がこのような物凄い関税障壁を巡らせるのは世界貿易の破壊でしかなかった。現に、この法案が出現したのを見て、世界中の国が報復措置を取る。わずか1年半で25ヶ国がアメリカ製品に対する関税を引き上げた。この結果、アメリカの貿易量は1年半後、半分以下に落ち込み、世界全体の貿易もさらに不振になった。 不況を克服するために行なったことがさらに不況を深刻にし、長期化させることになったのである。 世界大恐慌の真因は、ホーリー・スムート法によってアメリカが自由貿易を捨て、ブロック経済に入ったことである。 ホーリー・スムート法の施行によってアメリカが自由貿易体制から完全に離脱したことを受けて、イギリスも自衛のために保護貿易を行なう。オタワ会議を開いた。 オタワ会議(1932年) |
参考文献 | 歴史年表 |