綏遠(すいえん)事件(1936年)

昭和11(1936)年11月に、反漢(反支那)主義から蒙古自治を目指して関東軍に接近した徳王(モンゴル族の王公の一人)の内蒙古独立軍と反蒋派軍閥・王英の軍で編成された蒙古軍が、南下して綏遠の軍閥軍を攻撃したものの、惨敗を喫した戦いである。
この蒙古軍に関東軍の参謀・田中隆吉ら4人が個人的に関与していたことから、蒙古軍の実態は関東軍だなどと支那は馬鹿げた嘘を言い、「(支那軍)による関東軍撃滅」と宣伝し、支那国内を狂喜させたこのデマにより反日世論は頂点に達し、国民党が対日攻撃を宣言する事態にすら発展した。
とにかく日本に対する劣等感が強い支那人はこんな馬鹿らしい嘘でも本当に信じてしまう。このことが軍事的な自信と対日侮蔑を生み、やがて起こる盧溝橋事件と同じく空虚な対日強硬論へと高まっていってしまった。

  盧溝橋事件

田中隆吉日本の軍人で唯一、東京裁判でアメリカ側の検事が気に入るようなことばかりをしゃべった男だ。田中は検事のキーナンと取り引きして、日本陸軍首脳に不利な証言をしまくった。そのおかげて、東京裁判では綏遠事件は問題にされず、田中はGHQから金をもらって東京で贅沢な生活を送った。

  田中隆吉


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参考文献 歴史年表