昭和12年5月のアメリカ中立法改正は戦略物資については交戦国による「現金・自国船」条項を含み、日本など制海権を持つ国に有利であった。逆に支那には不利だったため、フランクリン・ルーズベルトは支那事変を「戦争」とは認定せず、したがって中立法の適用も拒否した。その結果、アメリカは対支那軍事経済援助は自由にできるが、他方、日本に対しても商業ベースで大量の軍需品・戦略物質を輸出せざるを得ない立場に立たされた。このようなジレンマにアメリカ当局は対日経済圧迫の必要をますます痛感させずにはおかなかった。 ちなみにルーズベルトは、昭和14年9月3日、第二次欧州大戦が勃発するとたたちに中立を宣言するとともに、議会に対して中立法改正を求めた。ルーズベルトは「侵略に対抗する民主主義国を援助するため」に交戦国への武器輸出禁止を撤廃するよう議会に勧告し、「アメリカを紛争から隔離しておくために」その年の5月にすでに期限の切れていた「現金・自国船」条項の再制定を要請した。 1938年11月4日、交戦国への戦略物資のみならず武器の「現金・自国船」条項を含む新(第四次)中立法が成立した。制海権がイギリスにあったため、これによって武器を購入できるのは事実上、イギリスとフランスだけで、ドイツは不可能になった。この「新中立法」は、実質は以前にあった「中立法の破棄」と呼ぶべきものだった。 このような矛盾と欺瞞に満ちたやり方で、ルーズベルト政権は昭和14年後半には、大西洋では英仏援助、太平洋では対支那援助と対日制裁を強化する姿勢をあらわにした。 参考文献:大東亜戦争への道(中村 粲著) |
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