10月2日にハルから野村大使に覚書が交付された。 内容は重ねてハル「四原則」を掲げ、日本は支那に「不確定期間」駐兵しようとしていると非難し、さらに三国同盟に対する立場を一層明確ににするよう要求するもので、首脳会談については相変わらず「根本的な問題」についての予備会談が必要である旨を述べるにとどまった。 このアメリカ側の覚書は日本側を大いに落胆させた。悲観説は特に陸軍において著しかった。 東條英機は「宣誓供述書」で「(この覚書によって)首脳会談の成立せぬことが明白となった。日本は忍び得ざる限界まで情報して交渉成立に努力したが、10月2日米国案を見ると、交渉開始以来一歩も譲歩の跡が認められない。日本は生存上の窮迫した問題を解決しようとするのに対し、アメリカは当初からの原則論を固執するのみであった」と述べている。 10月3日の野村大使からの情況具申も「アメリカはまったく対日経済圧迫を緩めず、規定政策に向かって進みつつあることはもっとも注目すべきことであり、このまま対日経済戦を行いつつ武力戦を差し控えるにおいては、アメリカは戦わずして対日戦争っ目的を達成するものである」と述べるなど、悲観的調子を深めつつあった。 10月4日の連絡会議でアメリカ側覚書を検討した際、永野軍令総長が「すでに議論の余地はない」と主張したのに対し、東条陸相は「この覚書に対する回答は慎重回答すべきである」と述べた。東条が好戦的であったなどというはこの件からも事実と反する。 この覚書は日本が辛抱強く継続してきた交渉路線を、大きく戦争へ転換させる重大な心理的契機となったものである。 アメリカの反日政策(「東亜新秩序」〜日米開戦) 参考文献:大東亜戦争への道(中村 粲著) |
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