日本は8月26日の連絡会議で、フランクリン・ルーズベルトが8月17日に出した通告(8月17日通告)への回答を決定した。 この回答の骨子は以下のようなものである。
また、同日の連絡会議においては近衛首相からルーズベルト宛のメッセージをも採択したが、それは従来の事務的商議にとらわれず、日米間の重要問題を討議し、時局救済の可能性を検討することを提案したもので、細目は会談後、事務当局に任せればよいとして、一刻も早い首脳会談を希望し、会見場所にハワイを提案したものだった。 この両文書は8月28日、野村がフランクリン・ルーズベルトに手交した。ルーズベルトは大いに乗り気の様子を見せたが、同席していた国務長官のコーデル・ハルは「首脳会談は事前にまとまった話を確認するだけのものにしたい」と繰返し主張し、日本の意図と根本的に反する態度だった。 |
参考文献 | 歴史年表 |