ソ連による樺太での虐殺

8月8日に広島に原爆が投下されたことを知るとソ連は8月8日に日本に宣戦布告し、9日午前零時に、ソ連の大軍が日ソ中立条約を一方的に破棄して満州と南樺太の国境を侵犯してきた。

関東軍は8月17日の天皇の命令によって武器を置いたが、ソ連は日本が降伏文書に調印するまでは戦争は終わっていないと嘯き、8月14日に日本がポツダム宣言を受諾した攻撃を続けた。日ソ中立条約を一方的に破棄し、その有効期間中に侵略する自らの違法侵略は棚に上げてこんな蛮行を行なったのだ。

満洲での虐殺同様、樺太においても大量の日本人が虐殺された。日本人40万人のうち10万人あまりが命を奪われたのだ。なかでも婦女子に対する暴力は筆舌に尽くしがたかった。ソ連軍には慰安所がなく、現地の住民への強姦が許されていたのだ。満州では被害者の10人に2、3人は舌を噛んで死んでいるという悲惨さだったのだ。

樺太の真岡には終戦5日後の8月20日にソ連軍が上陸した。真岡郵便局の電話交換手であった若い9人の女性は戦時下における電話交換業務がいかに重要なものかを知っており、責任感の強さから職場に残留し続けた。避難経路の指示、消息や誘導など、多くの人々の生命を守るために危険の中で職場を守ったのである。そして、ソ連軍が押し寄せるのが見えたとき9人は用意していた青酸カリを飲んで自殺した。ソ連軍は強姦するという話は現地の人々の間ではすでに知れ渡っていたのだ。⇒9人の乙女

ロシア・ソ連の蛮行

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