日ソ中立条約破棄

日本の歴史上、これほど日本人が激怒したことはない。日本では進歩的文化人や反日マスコミに完全に無視され続けているためこの超重大事件を知らない日本人がやたらと多い。

日ソ中立条約が結ばれたのは昭和16(1941)年で有効期限は5年、つまり昭和21年(1946)まで有効だった。
昭和20年(1945)4月5日、ソ連は翌年(1946)4月に満期になる「日ソ中立条約」の期限を延期しないことを日本に通告してきた。条約は一方の締結国の破棄通告後1年間は有効と規定されている。

昭和20年(1945)6月22日、日本政府はソ連大使を通じて終戦のための仲介をソ連に依頼した(ソ連はすでにヤルタ会談での密約で対日参戦を決めていたのでそれを知らない日本は無駄な依頼をしていたわけだが)。

  ヤルタ密約

ソ連からなかなか返事が来ないので7月10日に特使として近衛文麿をモスクワに派遣することにした。しかし、ソ連は7月18日に近衛の訪問を拒否してきた。そしてその約1週間後の7月26日にポツダム宣言が発表された。

  ポツダム宣言

スターリンは2月のヤルタ会談での密約により既に対日参戦を決めたわけだが、狡猾なソ連はすぐに参戦しなかった。しかしスターリンは当初満州・南樺太侵攻の予定を8月下旬にしていたが、アメリカの原爆開発成功の話を聞いて8月15日にし、さらに8月11日に早めた。しかし広島に原爆が投下されたことを知るとソ連は8月8日に日本に宣戦布告し、9日午前零時に、ソ連の大軍が日ソ中立条約を一方的に破って満州と南樺太の国境を侵犯してきた。ソ連が攻撃を開始したのは、スターリンが日本の反撃はもう絶対に不可能だと確信した後だったのである。

関東軍は8月17日に天皇の命令により武器を置いたが、ソ連は日本のポツダム宣言受諾(8月14日)後も狂ったような猛攻撃を続けた。日ソ中立条約を一方的に破棄し、その有効期間中に侵略するという極悪非道な行為を行なったわけだ。このソ連の火事場泥棒行為を、勝てばどんなに卑劣なことをやってもかまわないと考えるアメリカ、イギリスは黙認した。第二次欧州大戦初期のソ連の侵略のときとまったく同じである。

満州、樺太に侵略したソ連軍は、各地で殺戮、略奪、強姦の限りを尽くした。また、シベリア抑留をはじめ数々の極悪非道の行為を繰り返した。

  ソ連による満洲での略奪、虐殺
  ソ連による樺太での虐殺
  北方領土占領
  シベリア抑留

こんな極悪非道・ソ連が東京裁判の判事席の一角を占め、日本を裁いていたのだから笑える。

  ロシア・ソ連の蛮行
  ソ連の人道に反する罪


8月8日 ソ連、日本に宣戦布告(日ソ中立条約の一方的侵犯)
同日 満洲侵攻
8月18日 ロシア軍、千島列島占守島に侵攻開始
8月28日 ロシア軍、択捉島に侵入

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参考文献 歴史年表