昭和46年(1971)月8月から12月まで、朝日新聞の記者・本多勝一が書いたもの「中国の旅」が朝日新聞に掲載さた。 内容は、旧日本軍や日本の民間人が戦時中に支那人に行なったとされる残虐行為の告発であるが、すべて支那政府のプロパガンダにすぎないものだった。 それを朝日新聞社は自社の「アサヒグラフ」「週刊朝日」「朝日ジャーナル」にも載せ、日本軍を非難する大キャンペーンを行なった。 その中には、「南京大虐殺」、「百人斬り」、「三光作戦」といった捏造、ねつ造が含まれている。 「南京大虐殺」 「百人斬り」 「三光作戦」 当時、国連では支那代表権問題が激しく論議されていたが、これについて朝日新聞は「国民政府(台湾)切捨て」「中共承認」こそ「世界の潮流」であると盛んに書きたて「日中国交回復」世論を盛り上げるのに躍起になっていた。その朝日が、日本人に中共(支那共産党)に対する罪悪意識を改めて自覚せしめ、中今日の前に懺悔、平伏せしめんとの意図から、様々な中共礼賛、日本非難の記事による親支那共産党的な誌面作りに熱を上げていたのであるが、本多の「中国の旅」も、このような朝日の政治的努力の中に位置づけられるべきものであった。当然、「中国の旅」は極めて政治性の強い、また支那に対して迎合的な姿勢のルポルタージュとなっていた。 この本の中における支那側の「虐殺証言」の中に、支那人自らの嗜虐性を日本軍に仮託したものが非常に多い。要するに、「中国の旅」の中の「虐殺証言」とは、支那人が自らを語ったものと解釈すべきものである。 参考文献:大東亜戦争への道 (中村 粲) |
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