平成5年(1993)、自民党政権が倒れ、非自民六党連立与党で誕生したが、内閣の首相となったのが細川護煕(もりひろ)だった。 ソ連崩壊で社会党政権は面子を失っているわけだから、この時こそ自民党は立冬の精神に立ち戻って、憲法改正を行うなりの理念をまっとうする絶好の機会だったが、突如、不可思議な画策をする人物が出てきて、日本新党中心の奇妙な内閣が成立した。そこには妥協が必要で、細川内閣はなんとあの土井たか子を衆議院議員にしてしまった。細川らは土井に「謝罪外交をしますから」と説得して担ぎあげたらしい。 そして、細川は日本の首相として初めて「この前の戦争は侵略戦争だった」という主旨の発言をしてしまう。 細川「侵略戦争」発言 細川はさらに、来日したメイジャー首相にイギリス人捕虜の虐待について謝罪までした。 イギリス人の元捕虜たちは、捕虜時代に監督していた日本兵が死刑になったことを知って驚き、「死刑になるほどのことはしていなかった」と言って自発的に靖国神社に参拝してくれていた。日本とイギリスは良好な関係を築きつつあったが、細川が謝罪したために賠償問題が持ち上がってしまった。捕虜への賠償についてはすでにサンフランシスコ講和条約の時に終わっていたにもかかわらず、「日本の首相が誤ったから」改めて賠償するのではないか、となったわけだ。 細川はとんでもない国賊だった。 |
参考文献 | 歴史年表 |