新官僚の次に登場したのが「革新官僚」と呼ばれる連中だった。 新官僚 「議会や政府という邪魔者はいなくなった。今度は日本全体を統制国家にしよう」というのが彼らに狙いだった。戦時体制を推進する軍部と一緒になって、彼らはナチス張りの全体主義国家を作ろうとし始めた。 こうした革新官僚の台頭を最も象徴するのが、二・二六事件翌年に創設された企画院である。 企画院 革新官僚はしぶとかった。ゾルゲ事件で検挙された西園寺公一、牛場友彦、犬養健の三人はそろって復権し、「ファシズムによる弾圧の被害者」として世の中に受け入れられていく。革新官僚の生き残りは戦後、共産党に行ったり、そもそも共産主義に心酔するほどではない者は社会党に行ったりして活躍するようになる。 |
参考文献 | 歴史年表 |