軍部が急激に台頭するなか、それに呼応するかたちで官僚たちも右翼社会主義に傾倒し、新官僚、革新官僚が登場し、ナチスばりの全体主義国家構想が政府を支配した。 新官僚 革新官僚 革新官僚たちは昭和12(1937)年10月25日に統制経済を推し進めるために企画院を設立した。これは同年に勃発した支那事変に対応するため、戦時統制経済のあらゆる基本計画を一手に作り上げるという目的で作られたものである。言ってみれば「経済版の参謀本部」で、その権限はあらゆる経済分野をカバーした。この企画院の生みの親となったのが、当時の近衛文麿首相であった(細川護熙は孫)。ここに強大な権限を持つ経済統制の中枢機関が誕生した。 翌年には国家総動員法が制定される。 国家総動員法 |
参考文献 | 歴史年表 |