支那の内乱

19世紀以前はまだ未完成

支那の19世紀は討伐、裏切り、略奪に満ち満ちた内乱と虐殺の世紀だった。白蓮教徒の乱太平天国の乱だけでなく、捻軍の乱、天地会の乱、回教徒の乱、ミャオ族・トン族の乱もある。反乱軍が正規軍を駆逐して小王国が樹立され、一地方を支配したこともあれば、流れ流れて数省を荒らしまわった流賊の反乱もあった。

支那の武術集団は日本の剣術の流派などと違い、匪賊集団に他ならない。宗教結社は、自衛集団からやがて武装反乱集団へと変身してゆく。
宗教結社、秘密会党、匪賊組織は各地で蜂起と掠奪を繰り返し、支那全土の治安は急速に悪化し、匪賊社会に変貌した
匪賊が各地の山林湖沢で暗躍する一方、政府軍もこの混乱のなかで公然と掠奪を働いた。現在、支那政府は、アヘン戦争、英仏連合軍の北京攻略(アロー戦争)、義和団の乱、などを取り上げ、外国軍隊の略奪を強調して非難する。しかし、実際は支那の正規軍やその敗残兵による略奪のほうが激しかった。

洗回

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参考文献 歴史年表