白蓮教徒の乱(1796〜1805)

白蓮教とは仏教系のカルト宗教結社である。支那帝国の歴代王朝末期に出現するのはいつもこのような農民や宗教結社の反乱だった。
河南省での蜂起以来、支那各地で教徒が呼応し、延べ数百万人がこの大乱に参加したといわれる。この乱を鎮圧するのに十年かかり、清王朝が受けた打撃は大きかった。当時清国の財政収入は年間8千万両とされているときに、この乱の鎮圧に1億2千万両もの費用を費やしたとも言われ、国庫は空っぽになった。

白蓮教に続くのはいわゆる「教党」の反乱である。
その後、太平天国の乱、捻匪(ねんひ)の乱などがあり、死者5000万人とも、人口の五分の一が死んだとも言われる。

マルクスは西欧列強の侵略が19世紀支那の内戦を引き起こしたと主張しているが、それは東洋史への無知からくる誤解にすぎない。アヘン戦争の半世紀も前に、内乱はすでに開始されていたのである。

  支那の内乱


ブラウザの「戻る」ボタンで戻ってください
参考文献 歴史年表