明治憲法(大日本帝国憲法)

開国以来西洋列強に押し付けられていた不平等条約を解消するため明治政府は憲法制定を急いだ。
中でも、関税自主権の剥奪(輸入品にかける関税を日本が決められない)と治外法権(国内で犯罪を起こした外国人を日本人が裁けない)は、日本の財政と治安に暗い影を投げかけていた。不平等条約改正には憲法制定が先決とされた。

憲法制定の責任者は伊藤博文が任命された。彼はドイツ帝国の憲法が一番参考になると考え、ドイツに赴き、そこでプロイセン王国の憲法のほうが日本にあっているというアドバイスを受け、それを忠実に踏襲した憲法を作成した。
新しく作成された明治憲法では、奇妙なことに「首相」や「内閣」の存在に触れていない。一方、プロシア憲法を忠実に踏襲したため「天皇は陸海軍を統帥す」とされている。内閣や首相を正式に定めず、軍は天皇の直属としたことが、軍が独走した昭和の戦争を導く一因になる。(⇒統帥権干犯問題)

明治憲法の中では首相の地位は存在しない。ただい、天皇から「政治を補佐する国務大臣を選んでくれ」と言われた人が、何人かの国務大臣を選び、自分がそのまとめ役、つまり、総理大臣になった。これを「組閣の大命降下」と言っているが、その手続きは憲法にはない。

憲法制定の一大目的である不平等条約の改正は、明治32(1899)年に治外法権が撤廃され、明治44(1911)年に関税自主権を回復することによって、達成された。

この明治(大日本帝国憲法)は、反日史観によって悪の権化のように宣伝されているが、当時は先進国でも絶賛されたものだった。

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参考文献 歴史年表