統帥権干犯問題

昭和5(1930)年、ロンドン海軍軍縮条約に調印した浜口雄幸内閣に対して、軍部と野党政治家が政府を激しく攻撃した。
明治憲法(大日本帝国憲法)の第11条には「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」、第12条には「天皇ハ陸海軍ノ編成オヨビ常備兵額ヲ定ム」、とあり、これは天皇の統帥権、編成大権と呼ばれていた。陸海軍の兵力を決めるのは天皇と書かれているではないか。その天皇をさしおいて、政府が兵力数を決めてきたのは憲法違反である。天皇の統帥権を犯すものだ、と言い出した。
これを政争の具にして議会で「統帥権干犯!」と騒ぎ出したのが野党・政友会の犬養毅鳩山一郎(鳩山由紀夫・邦夫兄弟の祖父)だった。

浜口雄幸首相は議会で、「一応天皇が最終的な権限を持っているけど、実際上は責任内閣制度なのだから内閣が軍縮条約を結んでもかまわない。これが統帥権干犯ならば、外交を外務大臣がやるのは外交権干犯なのか?」という堂々たる立派な答弁をして鳩山一郎や政友会は言い負かされてしまう。
しかし、これで浜口首相は右翼や海軍から恨みを買うことになり、後日、右翼に狙撃されて重傷を負い、退陣に追い込まれた(浜口は約10ヵ月後に死亡)。

もともとは明治憲法の欠陥なのだが、それまでは元老制度によってこれが問題となることはなかった。しかし、昭和に入ると元老のほとんどは死に絶え、必然的に内閣の権威も衰えてしまった。ここに統帥権干犯問題という軍部の横暴がまかり通ってしまった原因がある。

結局、この問題により内閣は軍に干渉できないことになってしまった
この問題で政府を攻撃した犬養毅五・一五事件で射殺された(この流れは二・二六事件へと連なる)。
この問題あたりを機に、日本の議会政治は徐々に死んでいく。議会政治崩壊の元凶は「統帥権干犯!」と騒ぎ出した鳩山一郎である。

五・一五事件
二・二六事件

統帥権干犯問題は、伊藤博文に始まった日本の政党政治の息の根を止めることになった。

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参考文献 歴史年表