20世紀初頭にセオドア・ルーズベルト政権は軍部に対し、近い将来に国際戦略で利害が対立するであろうと予想される国々との戦争シミュレーションを立案させた。軍部は仮想敵国を色で区分しそれぞれとの戦争作戦を立案した。これは「カラープラン」といわれるが、日本は色が「オレンジ」に区分されたことから「オレンジ計画」の名が付けられた。その他では、ドイツは黒、イギリスは赤、フランスは金というように色分けされていた。 日露戦争で日本がロシアに勝ったためにアメリカは日本に恐怖心を抱いてしまったのだ。アメリカは桂・ハリマン仮条約破棄により、日本は支那大陸にアメリカを入れない、日本は支那大陸を独占するつもりだ、などと思い込んだ。こうして支那大陸に進出し、アジアにおける領土を拡大したいと目論むアメリカは、日本を疎ましく思い始めた。 これが白人諸国ならまだ許せた。実際、当時の支那の大部分はイギリス、フランス、ドイツ、ロシアが押さえていた。ところが、ロシアが押さえていた遼東半島に、日露戦争によって突如、日本が入ってしまったため、アメリカが嫉妬し始めたのだ。有色人種である日本が自分たちより先に支那大陸に拠点を気づいていることが我慢ならなかった。 アメリカは日本を仮想敵国として想定し始めた。オレンジ計画の内容は一変し、日本を打破する具体的な戦術が盛り込まれたのである。 まず、アメリカはまず自国に太平洋艦隊がないということに気づく。そして、日本が太平洋を渡ってアメリカに攻め込んでくるのではないかと妄想し、すぐに軍艦を作り始めた。また大西洋の艦隊を集結して日本を訪問させ、自国の海軍力を誇示する行動に出た。 白船事件(1908年) その後修正された「オレンジ計画」には、日本の都市を爆撃することや、沖縄を占領することなどの戦略が練られていた。このころから、アメリカは日本との戦争を現実的な問題として考えていた。 |
参考文献 | 歴史年表 |