日露戦争後のポーツマス条約により、日本は満州の長春から旅順までの鉄道などの権益を得た。 ポーツマス条約(1904年) そして日本は南満洲鉄道株式会社(満鉄)を設立する。満鉄は鉄鉱、製鉄、電力、港湾、倉庫など、さまざまな関連事業を行い、軍事、経済の両面で日本の満洲経営の柱になっていく。 アメリカの鉄道王・ハリマンは、進展の可能性のある南満州鉄道に目をつけ、日本に満州の鉄道の共同経営を持ちかけてきた。ハリマンは世界一周鉄道を作る構想を持っていた。提案は、日露戦争の結果獲得した満州における日本の権益の分け前を得ようとするものであったが、井上馨、伊藤博文、桂太郎、渋沢栄一らはハリマンの提案に賛成した。日露戦争で金を使い果たし、戦争に勝ったとはいえまだロシアの大軍は満州の北におり、ロシアの復讐も警戒しなければならない。満州の鉄道経営をアメリカと一緒にやったほうがいいと考えたのである。こうして桂首相はハリマンと仮条約を交わした。 しかし、外相の小村寿太郎がポーツマス条約の調印を終えてアメリカから帰国すると、この仮契約に猛烈に反対した。日露戦争で10万同胞の尊い命と20億円の国費を犠牲にして得た満州の権益をアメリカと共有するなど許されないというわけで、当然といえば当然のことだった。結局、日本政府は仮約束を取り消すことになった。 取り消しの電報をサンフランシスコに上陸して受け取ったハリマンは、日本が支那大陸にアメリカを入れないつもりだと議会に訴えるが、さすがにこの時点では強引なことができなかった。 アメリカは支那大陸に進出したいと考えていたが、日本がこれを独占してしまうのではないかと恐れ、次第に日本が邪魔な存在になっていった。また、ただでさえアメリカは有色人種の日本が白人の大国であるロシアに勝ったことに脅威・恐怖を感じ始めていたのだが、そこへ仮条約を一方的に破棄され敵愾心が生まれた。 また、アメリカは太平洋艦隊を持っていなかったため、日本が太平洋を渡ってアメリカに攻め込んでくるのではないかという危機感(妄想といえる)を勝手に抱いた。日本はアメリカを攻撃するなどまったく考えてもいなかったにもかかわらずである。このためアメリカは急遽軍艦を作り始めた。 その後もアメリカは1909年には満州鉄道の中立化を提案してきたが、日本はロシアと組んでアメリカの動きを封じる。 満州鉄道中立化提案(1909年) 日露戦争後、日本とロシアは良好な関係を維持するようになり、満州は安定した状況でありえた。これが崩れるのはロシア革命以後である。 ロシア革命(1917年) ハリマン提案を受け入れていれば、もしかすると日本は大東亜戦争に突入せずにすんだかもしれないと考える人もいる。 |
参考文献 | 歴史年表 |