8月30日に支那側が国際連盟に対して、日本の行動は不戦条約および九ヶ国条約に違反すると通告、連盟が必要は措置を取るよう提訴した。 この際、連盟総会で支那の代表は「支那が日本に抵抗しているのは外国の在支那諸権益を擁護するためである」と演説した。「革命外交」で日本の権益の全面的撤廃を高唱してきた支那が、この期に至ってにわかに「外国権益の擁護」と言い出すのは日本にとっては片腹痛いことでもあった。「抗日は列国の権益保護のため」という論理で欧米勢力を誘い入れて日本を排斥するやり方は、三国干渉以来の「遠交近攻」政策を再び支那が試み始めたことを示していた。 支那の提訴の結果、国際連盟は支那絵の精神的援助を決議し、ベルギーのブリュッセルで九ヶ国条約会議が開催されることになったが、日本は参加を拒絶した。理由は、連盟の支那援助決議は支那の抗日を鼓舞し、事態収拾を困難にすること、日本の行動は支那の挑発に対する自衛行動であって九ヶ国条約違反問題は発生する余地がない上に、最近の支那における赤化勢力の浸透により党案の事態は九ヶ国条約成立当時とは著しく異なってきていること、九ヶ国条約会議参加国の大部分は連盟決議に拘束されるため公正な結果を期待できない等であった。 会議は11月3日から開かれたが、イギリス・アメリカの態度が消極的で、対日制裁措置を取ることができず、支那側には大きな不満を残す結果に終わった。 参考文献:大東亜戦争への道(中村 粲著) |
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