西欧においてできた国際法において、第一次世界大戦まで「侵略」なる概念は存在しなかった。「文明の低い」地域は無主地とみなされ、これを戦争によって植民地化するのは自由だと考えられていた。住民を奴隷化するのも虐殺するのも自由だった(これが白人の考えだった)。これが当時の国際法(白人が勝手に定めたもの)の原則で、欧米列強は競ってアジアやアフリカ、南米などの有色人種の地域を植民地化し、住民を虐殺しまくり、奴隷化していった。 1919年のパリ講和会議で日本は国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を入れるよう要求したが、アメリカ、イギリスを初めとする人種差別当たり前の白人諸国に反対され、否決された。 日本の人種差別撤廃提案 ところが、第一次世界大戦での被害が莫大で、無差別に戦争を行なえば世界は破滅に向かうとの反省が起こり、諸国間で「国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄する」との不戦条約が結ばれた。アメリカの国務長官ケロッグとフランスの外相ブリアンの名前から「ケロッグ・ブリアン協定」と呼ばれる。紛争は戦争ではなく平和的手段により解決すると規定された。「戦争放棄」を宣言してるために「戦争放棄に関する条約」というが、自衛の戦争は除くとされた。 「侵略は悪である」と初めて定めた画期的な条約のはずなのだが、「侵略」の定義が「当事国の自国裁量権に任せる」とされた。つまり、その国が侵略戦争と認めれば侵略戦争、自衛戦争と認めれば自衛戦争ということになった(この点から大東亜戦争は名目とも間違いなく自衛戦争だった)。戦争にはお互いに言い分があるので、こういう規定にしかならなかった。このため、韓国に侵略して朝鮮戦争を引き起こした北朝鮮も、イラクを侵略したアメリカも、自分たちの戦争を「侵略戦争」と認めていない。 だから、「侵略国」などという国は永遠に現れるわけがないはずなのだが、日本の細川護煕という馬鹿は首相在任中の1993年(平成5)に「日本は侵略戦争をした」とたわけたことをのたまってしまっている。 細川「侵略戦争」発言 アメリカ国務長官のケロッグは「自衛戦を禁止するものではない。自衛か否かは各国に決める権利がある。自衛の概念は広範で、経済的脅威に対するものまで含められる」という趣旨のことを議会で述べている。パール判事はこれらを指摘し、不戦条約を破ったとして日本を断罪することはできないとした。 パール判決書 実際の不戦条約侵犯第一号はソ連だった。昭和4年(1929)、満州の張学良政権はハルピンのソ連領事館捜索で共産革命計画の証拠を押収したがのを機会に、東支鉄道の実力回収に踏み切ったのに対し、ソ連は空陸両軍をもってソ満国境を越え、満州に侵略した。アメリカ、イギリス、フランス、イタリアは不戦条約の義務につきソ連に抗議したが、ソ連はソ連軍の満洲侵攻は「自衛行動」だとして反論し、第三国の干渉を拒絶した。 一方、その2年後の満州事変において、日本は関東軍の行動は自衛のためであると主張したが、アメリカは日本が不戦条約に違反しているとして非難した。リットン報告書も日本の自衛の主張を否認した。 ソ連は満洲事変の2年も前に不戦条約を破って自衛の名の下に侵略を行なっていたのである。そのソ連が東京裁判で満洲事変以降の日本の政策を侵略と断罪したのだからあきれる話である。 結局、「不戦条約」とはこの程度のものだったのだが、東京裁判では日本はこの条約に違反したとして裁かれた。 東京裁判の検事キーナンは、日本が昭和3年(1928)から支那侵略を開始したので太平洋戦争は15年戦争だと言ったが、なぜこんな見方が出るのかというと、それはこのケロッグ・ブリアン条約による。 |
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