盧溝橋事件に関する政府声明(1937年8月15日)

第二次上海事変における支那軍の攻撃を受け、日本政府は昭和12年(1937)8月15日、「盧溝橋事件に関する政府声明」を発表した。
その骨子は以下のとおり。

  1. 帝国はつとに東亜永遠の平和を希望し、日支の親善提携に努力してきたが、南京政府は排日抗日を国論昂揚と政権強化の具に供し、自国国力の過信と我国の実力軽視の風潮に赤化勢力が加わり、いよいよ反日侮日の機運を醸成した。
  2. 今次事変の発端も、このような気勢がその爆発点をたまたま永定河(注:盧溝橋の河)畔に選んだにすぎない。神人共に許さざる通州虐殺事件の因由もここに発する。
  3. 我国は隠忍を重ね、事件不拡大を方針とし、つとに南京政府に挑戦的言動の即時停止と現地解決を妨害せぬよう勧告したが、南京政府はますます戦備を強化し、厳存の軍事協定を破り、上海ではついに我に対して砲火を開き、帝国軍艦を爆撃するに至った。
  4. このように支那側の帝国に対する軽侮と不法暴虐至らざるなく、わが国としてはもはや隠忍その限界に達し、支那軍の暴戻(ぼうれい)を膺懲(ようちょう)し、南京政府の反省を促すため、今や断乎たる措置を取るのやむなきに至った。
  5. 我国の願うところは日支提携にあり、支那の排日抗日を根絶し、日満支三国の融和提携の実を上げること以外に他意はない。もとよりまったく領土的意図はなく、また無辜の一般大衆に対してはなんらの敵意を有するものではない。また列国権益の尊重には最善の努力を惜しまぬものである。

この帝国政府声明は、盧溝橋の不法射撃に端を発する今次事件の原因の所在、その推移の大要、そしてその底流に伏在する日支関係の本質及び我国の基本姿勢など、完勁(かんけい)な行文(こうぶん)のうちに説きつくしており支那事変の発生因はこの声明に過不足なく表現されている

この声明に関して風見書記官長は、日本政府は不拡大方針を放棄したのではなく、「華北の事態は華北だけのこととし、上海の事端は上海だけのこととしてそれぞれ解決の途は塞がれていないという期待の下に事態収拾の一日も速かならんことをひたすら祈っている」と説明し、「不拡大・現地解決」の方針に変わりないことを強調した。

参考文献:大東亜戦争への道 (中村 粲)

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参考文献 歴史年表