アメリカ、汪兆銘政権樹立非難(1940年3月)


  汪兆銘南京国民政府樹立(1940年3月)

支那で汪兆銘の新政府が樹立されたその日、アメリカの国務長官・コーデル・ハルは汪政権樹立を非難し、アメリカは以前重慶政府を支那政府と認める旨の声明を発表した。
これに対してわが国は、ハルの声明は日本と交戦中の重慶政府を援助するもので建設的精神と相容れない、我国は対米関係改善に最善の努力をしてきたのであるから、アメリカは今少し辛抱してその成果を見守るべきであるのにそのような忍耐を書いたハルの声明は遺憾である - と外務省情報部長談によって反論した。
ハルの声明は汪の真意図や汪政権出現の背景にはまったく無頓着に非難を浴びせただけで、日華和平を希望する言葉すら述べておらず、まったく非建設的なものであった。高踏的原則論を振りかざすアメリカ指導者が、日華関係の機敏にいかに無関心であるかを、この声明は証明していた

日本は汪兆銘・南京国民政府成立前後から、重慶政府との和平工作の努力を継続するが、南京国民党政権を正式に承認することになる。

  日華基本条約(1940年11月)

こののち、アメリカとイギリスは重慶の蒋介石政権に借款を供与し援助し続けることになる。

支那事変をめぐって日米両国が根本理念において相いれないことはいまや明らかであった。アメリカが重慶政府を援助し、日米関係改善のための日本の誠意ある努力を無視する態度を続けていると日本が感ずる以上、これに対抗して国際的地位を強化すべく日本が枢軸側と提携の方向へ傾斜していったのは、その当時からすれば自然の成り行きだった

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参考文献 歴史年表