ハル・ノートを受けて、同日、ただちに連絡会議が開かれたが、出席者全員がアメリカ側のあまりに強硬な態度に衝撃を受け、落胆した。 東郷重徳外相は東京裁判の口述書でその時の日本政府の反応を以下のように述べている。 「ハル・ノートに対する主席者全員の感じは一様だったと思う。アメリカは従来の交渉経緯と一致点をすべて無視し、最後通牒を突きつけてきたのだ。われわれは、アメリカ側は明らかに平和解決への望みも意思も持っていないと感じた。けだしハル・ノートは平和の代価として日本がアメリカの立場に全面降伏することを要求するものであることは我々に明らかであり、アメリカ側にも明らかであったに違いないからだ。日本は今や長年の犠牲の結果をすべて放棄するばかりか、極東の大国たる国際的地位を捨てることを求められたのである。これは国家的自殺に等しく、この挑戦に対抗し、見づからを護る唯一の残された途は戦争であった」 これは軍部の見解ではなく、文官たる外務大臣の意見であることに注意すべきである。 東條首相の宣誓供述書もこれとほとんど同趣旨である。 連絡会議の結論は以下の通り。
こうして日米交渉打開への望みはなくなり、日本はふたたび御前会議で最終的に行動を決することになった。 12月1日御前会議(1941年12月1日) 参考文献:大東亜戦争への道(中村 粲著) |
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