石油禁輸(1941年8月)

大東亜戦争の直接かつ最大の原因といえるもの。

日本の南部仏印進駐を受け、昭和16年(1941)8月1日、アメリカ大統領のフランクリン・ルーズベルト石油禁輸強化を発令、日本を対象として発動機燃料、航空機用潤滑油の輸出禁止を発令した。これによって日本は、すでに禁輸されていた高オクタン価ガソリンに加え、オクタン価の低い石油の禁輸措置を受け、日本への石油輸出はまったく停止されることになった。

この数日前にイギリス、オランダも日本に対し、日本資産凍結、通商航海条約の廃棄などを実施しており、これら英米蘭の日本に対する報復的制裁措置によって対日ABCD包囲陣は一段と強化され、日米関係は重大局面を迎えることになった。

  ABCD包囲陣

ルーズベルトはこの対日石油禁輸がきわめて危険度の高い制裁手段であることを強く認識していた。当時、海軍の専門家たちから「石油禁輸はアメリカを戦争に巻き込むことになる」「対日経済制裁は延期すべき。それをすれば近いうちに日本に攻撃される」と忠告を受けていたのだ。日本との戦争を決めていたルーズベルトは無視した。

当時、海軍作戦部長であったスターク提督は戦争中の昭和19年、海軍軍事法廷での証言で、「石油禁輸の後は、日本はどこかへ進出して石油を取得する他なかったのであり、自分が日本人だったとしてもそうしたであろう」と述べた。

ルーズベルトは7月24日、難物不印進駐についての説明に訪れた野村大使に「これまで、日本に石油を供給するのは太平洋の平和のために必要だと国民を説得してきたが、この状況では余は従来の論拠を失い、もはや太平洋を平和的に使用できなくなる」と述べたのであるが、この言葉は裏を返せば、対日石油禁輸が日米戦争を誘発する公算が極めて高いことをルーズベルトが十分に予測していたことを物語るものである。

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参考文献 歴史年表