ABCD包囲陣構築

盧溝橋事件に始まった支那事変はずるずると拡大し、日本の外交関係も悪くなっていった。そしていつの間にかABCD(アメリカAmerica、イギリスBritain、支那China、オランダDutch)包囲陣に囲まれることになった。これらの国が日本をつぶすために石油禁輸措置などを行った。

  アメリカの反日政策(「東亜新秩序」〜日米開戦)

この包囲人を画策したのは、イギリスのチャーチルであることが最近の研究で明らかになった。
第二次世界大戦はドイツのポーランド侵攻によって始まったわけだが、ドイツ軍の圧倒的な強さにイギリスは風前のともしびといったありさまであった。チャーチルが首相になったのも、連敗に次ぐ連敗でチェンバレンが政権を放り出したからである。
このような状況を見てチャーチルが考えたのは、イギリスを救うためには戦争にアメリカを引きずり込むしかない、ということだった。
しかしルーズベルトは、絶対に参戦しないという公約を掲げてアメリカ大統領に当選していた。
チャーチルはまず日本とアメリカの間で戦争が起きるように仕向け、日本と同盟関係にあるドイツとアメリカが戦うことになるように仕組もうと考えた。そしてイギリスとアメリカは日本に対する石油禁輸措置を決定する。石油をまったく輸入できなくて困った日本はオランダ領インドネシアに打診すると、イギリスとアメリカは、今度はオランダをそそのかし、1941年8月、ついに日本への包囲網を完成させた。
ABCD包囲陣では日本資産の凍結鉄鉱禁輸措置も取られたが一番影響があったのは石油である。

  石油禁輸

石油がなければ20世紀の国家は存続できない。無為のまま石油を枯渇させ、白旗を揚げることなど考えられなかった。それで対米戦争に難色を示していた海軍も覚悟を決め、御前会議で正式に戦争準備に入ることが決定された。同年9月、つまり大東亜戦争開戦のわずか3ヶ月前のことだった。
それでも日米交渉で日本が譲歩し、その代わり石油禁輸が解かれればアメリカと戦争をする必要はなくなる。海軍はその点に一縷の望みをかけていたのだ。
目下の石油備蓄領は、約半年分。海軍が日米交渉の最終期限を12月半ばに設定した根拠は、ここにある。

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参考文献 歴史年表