中華人民共和国成立(1949年)

昭和20年(1945)の大東亜戦争終了で日本が支那大陸から撤退すると、以前から断続的に行なわれていた国共内戦が激化した。

  国共内戦再開(1945年)

ソ連の支援を受ける支那共産党軍が、アメリカから見放された国民党に勝利をおさめ、昭和24年(1949)に共産主義一党独裁国家である中華人民共和国を樹立した。敗れた国民党軍は台湾島に逃げ、中華民国として島を支配している。

支那共産党一党独裁政権の樹立によっていまなお支那の民衆は抑圧に苦しんでいる。
要するに戦前から日本が懸念していた支那大陸の共産化という悪夢が実現してしまったわけだ。
民主主義を奉じるキリスト教国家を支那大陸に樹立すべく蒋介石を懸命に応援してきたアメリカでは、蒋介石敗北の犯人捜しが始まった
そしてトルーマン民主党政権と対立してきた共和党の指導者ロバート・タフト上院議員は、蒋介石の国民政府自身の問題ではなく、トルーマン政権が蒋介石を十分に支援しなかったからだと批判した。そもそも「ミスター共和党」と呼ばれたタフト上院議員は戦前から、親ソ反日のルーズベルト外交には批判的であった。
ヤルタ密約を知ったふタフト上院議員は1946年の中間選挙において「民主党がテヘランで、ヤルタで、ポツダムで、モスクワでロシアに迎合する政策を推進し、その結果、東ヨーロッパとアジア全体に渡る多くの国家と何百万人という人々の自由を犠牲にした」と批判した。タフト上院議員からすれば、眼前のアジア共産化の危機は、ソ連と組んだルーズベルト民主党政権の外交政策の誤りに起因するものであった。2005年5月、ブッシュ大統領も同じような批判をしている。

中華人民共和国、すなわち支那共産党政権の誕生によって「弱い日本がアジアの平和を保障する」というルーズベルトの馬鹿げた「日本弱体化」政策が間違いだったことが周知となった。


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参考文献 歴史年表