ヤルタ会談・ヤルタ密約

第二次世界大戦大東亜戦争の勝敗が明らかになりつつあった昭和20年(1945)年2月、アメリカのフランクリン・ルーズベルト、イギリスのチャーチル、ソ連のスターリンがソ連領クリミア半島のヤルタで協議を行った。

ここでルーズベルトは、なんとスターリンに、ドイツ降伏の3ヵ月後に日ソ中立条約を侵犯して対日参戦するよう要請した。ルーズベルトはその見返りとして、日本の領土である千島列島、南樺太、そして満州に日本が有する諸々の権益(日露戦争後のポーツマス条約により日本が得た旅順港や南満洲鉄道といった日本の権益)をソ連に与えるという密約を交わした

日本に対するアメリカの勝利をさらに確実にするためいかなる非道なことをしてでもソ連に参戦してもらいたかったのだ。
日本には認めないとあれほど言い張ってきた満洲の権益を共産主義のソ連には認めたわけで、アメリカの提唱してきた「門戸開放」なるものは単なるまやかしにすぎなかったことを露呈した。

ソ連はこの密約を根拠に、昭和20年8月の終戦間際、日ソ中立条約を一方的に破棄して満州、千島列島、樺太に侵攻を開始した。

  日ソ中立条約破棄

このヤルタ密約こそがその後の日本とソ連(ロシア)の間の「北方領土問題」の原因となっている。

  北方領土問題

ヤルタ密約は、当事国が関与しない領土の移転は無効という国際法の条文に明白に違反しているため、ソ連・ロシアによる南樺太及び千島列島を侵略・占領する法的根拠がまったくないのだが、日本政府がまともに抗議せず、また、アメリカに反省がないため、南樺太、千島列島は現在に至るまでソ連に占領されたままである。

平成17年(2005)にはアメリカ大統領のブッシュは、このヤルタ協定が東欧諸国における圧制を生むなどした諸悪の根源と非難したが、アメリカが日本の分割の原因となる秘密協定を行なったことに対する反省はまったく示されなかった

  ブッシュ・ヤルタ協定批判(2005年)

日本に関するもの以外でヤルタ会談で決定されたこと

この会談の結果、第二次世界大戦後の処理についてヤルタ協定を結び、イギリス・アメリカ・フランス・ソ連の4カ国によるドイツの戦後の分割統治やポーランドの国境策定、バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)の処遇などの東欧諸国の戦後処理を発表した。

1. ポーランド問題
ヤルタ会談の半分以上の日程はポーランド問題に費やされた。
第二次世界大戦中、ポーランドは西からドイツ、東からソ連にそれぞれ侵略され、この両国に東と西を分割占領されていた。その後ドイツはソ連占領地域の東ポーランドに侵入してポーランド全域を占領したが、アメリカの支援を受けたソ連が再び東半分をドイツから奪還し、親ソ連のポーランド国民解放委員会を樹立した。引き続いてソ連は西ポーランド(ドイツ占領地域)へ侵入し、首都ワルシャワに迫り、モスクワ放送で、ポーランドのレジスタンスに蜂起を呼びかけた(ワルシャワ蜂起)。ポーランドのレジスタンスはソ連の支援を信じたのだがソ連は裏切って助けなかった。ソ連の裏切りを知ったヒトラーは、ワルシャワの徹底的破壊を指示し、レジスタンスは壊滅、ワルシャワ市内の8割の建物が破壊され、15万人以上の死者を出したといわれる。
アメリカとイギリスは、ソ連にポーランドのレジスタンスへの支援を要請したがスターリンは無視した。当時、ロンドンにポーランドから亡命していた指導者たちで作るポーランド亡命政権が存在しており、イギリスはその政権をポーランドの正式な政権として承認していた。カティンの森事件が発覚し、ポーランド亡命政権とソ連は関係を断絶した。ソ連は各国に、ポーランドの正式な政権は、ロンドンの亡命政権ではなく、ルブリン共産党政権だと認めさせるために、ルブリン共産党政権に、ポーランドの実質的な統治をさせたいと考え、そのために邪魔となる恐れがあったレジスタンスのポーランド国内軍をナチスドイツに壊滅させたのだ。
イギリスとソ連は、ロンドンの亡命政権とルブリン共産党政権のどちらが正式なポーランド政府かを巡って対立した。結局、アメリカの仲介で、総選挙により国民自身で政権を選ぶことになった。ところが、スターリンは戻ってきたロンドン亡命政権の指導者を逮捕し裁判にかけてしまい、ポーランドはルブリン共産党政権によって統治される社会主義国となってしまった。アメリカの大失敗だった。

2. ドイツ問題
ドイツは現在のオーデル・ナイセ線以東にある領土をすべて失い、これらの領土はポーランド領(一部はソ連領)とすることにした。一方、戦後ドイツはアメリカ、イギリス、フランス、ソ連で共同管理することが決められた。
ドイツの東部領土はポーランドに渡ったが、そのポーランドの従来の東部領土はソ連へ割譲されることになった(つまり、ポーランドの国土は従来から西へずれることになった。つまり、ドイツが領土を失い、ソ連が領土を獲得したというわけ)。

3. その他の国問題
ヤルタ密約では、アメリカとソ連は、カイロ会談で出てきた台湾の支那(国民党政権)への割譲を確認した。朝鮮半島は当面の間は連合国の信託統治とすることとした。しかし、米ソの対立が深まり、その代理戦争として朝鮮戦争が勃発し、朝鮮半島は今日に至るまで分断されている。更に、連合国自らが領土拡張の意図を否定した「カイロ宣言」なるものと矛盾することも批判を招いている。

この会談以後の戦後体制をしばしばヤルタ体制と呼び、この会談以降、アメリカを中心とする資本主義国陣営と、ソ連を中心とする共産主義国陣営の間で本格的な東西冷戦が開始されたと言われている。

  冷戦


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参考文献 歴史年表