支那、靖国参拝に内政干渉
中曽根、支那に屈服


昭和60年8月15日に当時首相であった中曽根康弘が3度目の8月15日靖国神社への参拝をしたとき、支那政府が不快感を表明し、「戦犯」合祀(ごうし)を理由に内政干渉を行なった。
これに対して中曽根は支那の内政干渉に抗議しなかったどころか、なんと、それ以降、靖国神社への参拝を止めてしまった。つまり、靖国問題は中曽根の愚行から始まったといえる。
8月15日の参拝前には、中曽根は姑息にも左翼に媚び、「宗教色を排除した参拝をする」といい始めた。「2礼・2拍手・1礼」の神道の拝礼すらせず「1礼」だけにするというのだ。
靖国神社の松平宮司は猛反発したが、とにかく「公式参拝」の実現が第一だと説得して、欺瞞に満ちた「公式参拝」が行なわれてしまった。松平宮司は社務所から出ず中曽根を迎えもしなかった。(その後、小泉は中曽根の侮辱的な参拝方式を踏襲、定着させてしまった)

支那共産党は当初「1000人以上の『犯罪人』を祀っている靖国神社」と言っていたが、その後は変更して「『A級戦犯』も祀る靖国神社」と、「A級戦犯」だけに的を絞り始めた

昭和47年(1972)の日中共同宣言、昭和53年(1978)の日中平和友好条約、平成10年(1998)の日中共同宣言にはいずれも「内政不干渉」が明記されていおり、日本の首相の靖国神社参拝を非難するのは明らかな内政干渉であるにもかかわらず、支那共産党は内政干渉を行ない続けているのだが、もっとあきれたことに日本政府はそれに対してまともな抗議をしていない。

そもそも日本と支那とは文化が違う。日本は「死ねば敵も味方もみな仏」だが、支那は「墓を暴き、死者に打つ」というのが伝統文化である。
蒋介石は戦後、親日派だった汪兆銘の墓を爆破している。

ちなみに韓国も支那に習い、靖国参拝を問題視し、大統領の支持率アップに利用している。
韓国はベトナム戦争に参戦し、30万人を超えるベトナム人を殺したが、韓国の首相は戦没韓国兵追悼のための国立墓地に毎年参拝しているらしい。

中曽根が首相のときに文部大臣になった藤尾氏が「日本は韓国にもいいことをした」と発言した。日本が朝鮮半島に出て行ったときの韓国の社会状況は、日本の鎌倉幕府ができた頃の水準であったといわれている。それを一挙に近代化したのだから、日本は非常にいいことをしたことになる。ところが、中曽根と官房長官の後藤田は藤尾文部大臣をクビにしてしまった。こんな馬鹿なことをしたから支那や朝鮮から中曽根はなめられ、くみしやすしと見られてしまったわけだ。

靖国神社について

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参考文献 歴史年表